October 31, 2007

寄席囃子澄んで聞こえる秋日和

上野広小路亭で新真打ち「竹林舎青玉」の真打ち興行千秋楽に出演。田辺一鶴師の弟子で新たな亭号をつくっての出発、いいかもしれない。講談の真打ちこそ、ベルトコンベアー方式でどんどん作って欲しいものです。夕方からは俳句の会。「赤福会」という名前だが、変わるかもしれない。赤福、だれもお腹を壊した訳でなし…税金をだまし取った訳でなし…。
食べ物を大切にする昔ながらの食文化からすれば間違っていないと思いますがね〜。賞味期限が出来たのは外圧で10年前からだし。期限が切れたお菓子は半額で売るというのはどうでしょう。少なくとも私は買うし、差し入れしてもらえば、講談の楽屋は大喜びです。打ち上げに参加。これから句会に、といったら
琴調さんが一句プレゼントしてくれた「秋晴れや千秋楽を祝いけり」
今回の句会、いいのが沢山、会員の作「みだれ萩風のもつれは風のとく」「黄落と朝日楽しむ竹ぼうき」「川筋や城跡までは秋となり」


October 29, 2007

豊川稲荷へ

きのうの雨がうそのような雲一つない晴天の日曜日。豊川市立金屋中学校の創立30周年のイベントで「はだしのゲン」。校長先生が「悠(はるか)」という本のインタビュー記事を読んで声をかけてくれた。
 時間があったので参拝。ここが妙厳寺というお寺とは知らなかった。家康が戦に出る前必ず参拝したという。「オンシラバッタ ニリウン ソワカ」と唱えると負けを勝ちに転じることができるという。ちょっとしたネタを拾いました。豊川稲荷へ
 表参道では土産物屋さんたちがチンドンに扮してにぎやかし。フラダンスを見学。臨月の方も踊っていておどろいたが、フラはお腹の赤ちゃんが喜ぶと先生。なるほどそうかも知れない。「フラガール」で蒼井優が演じた主人公に似た雰囲気の若い女の子、まぶしそうな表情をパチリ。

October 27, 2007

闘争団千四十七士は「労働者の鏡」


20年前国鉄の分割民営化のさい、組合差別で不当解雇され、20年間、自活しながら闘い続けている1047名の闘争団。ようやく今、すべてが結束して政府に対して解決を求めるという新たな段階をむかえる事ができました。
「10,25東京南部大集会」は400人弱もの人が集結。新作「千四十七士国鉄労働者(ぽっぽや)義士伝」はあたたかい拍手で迎えてもらえました。
ただひとつ問題があるとすれば神田香織があでやかすぎたこと!なんてよいしょにすっかり気をよくしている私です。
闘争団は、裏切らない仲間がいること、助け合う家族、励まし合う仲間がいることの大切さを教えてくれている。それがアメリカ追随、貧富の差をつけ、「人間の尊厳」をうばう今日の格差社会においてどれほど求められているか。忠臣蔵四十七士が「武士の鏡」だとすれば闘争団千四十七士は「労働者の鏡」です。一日もはやい解決を!

October 13, 2007

セロハンで止めたる命秋の獄

フーラム90「響かせあおう 死刑廃止の声」に顔をだす。
死刑囚の短歌、俳句、絵画、息を飲むような作品ばかり。「刑死まで一度は見たし区切り無い 月に太陽満点の星」東京拘置所はなんと太陽の陽を浴びる事さえ許されていないという。空気、太陽、自然、これはみんなにものでしょうが…。「まやかしの贖罪てふ刑死より 罪を背負いて我は生きたし」「鯨声のような泣き声一夜して また新しき死囚産まれる」「セロハンで止めたる命秋の獄」
韓国ではここ10年死刑執行なし。死刑廃止国の仲間入りを果たした。先進国で死刑があるのは日本だけ。死刑が犯罪の防止に役立つのなら、日本から凶悪犯罪はなくなっていなけらばならない。
法務大臣鳩山邦夫さんが「はんこをつかなくてもベルトコンベア式に執行出来ないか」とおっしゃったがえん罪だったらどうするのでしょう?彼が死刑囚の絵や短歌をみたら、果たしてなんというだろうか聞いてみたい。
幕末の老中、磐城平藩主安藤対馬守は「その時代において犯罪者でも後の世かみるとそうでないときがある。だとしたら、判をつけば自分は殺人者となる」と法務大臣の任にあった2年半もの間、一人も死刑囚を殺さなかった。鳩山さんには対馬の守の爪のアカでも煎じて飲んでいただきたいです。
安田好弘さん、鈴木宗男さん、佐藤優さんによる鼎談「権力が死刑を求める理由」は、面白く、かつ恐ろしく。佐藤さん、旧ソ連のKGBの方が日本の検察より情があったという。宗男さん「検察は紳士だと思っていたが、警察の方がまだいい」彼は秘書の女性が癌の手術後逮捕され、長くこう留され、その間治療が受けられず、一年後に亡くなった事を今でも憤っている。検察って本当にひどい、と佐藤さんが安田さんに言ったら「そんな事はない、中にはいい人もいる」と安田さんがいったそうだ。あんなにひどい目にあっているのに、安田さんは大きな人だなあ。



October 12, 2007

和田啓十郎物語

株式会社ツムラさんのお招きで、久しぶりに「漢方復興講談・和田啓十郎物語」を語る。7年前にこの講談を発表したときはまだ漢方はそれほど活用されていなかった。大学も3割程だったのがなんと全国80大学のすべてで8コマ以上の胃漢方教育が行われるようになり、65大学病院で「漢方専門外来」が出来たという。まるで夢のよう。ツムラさんでも「漢方医学と西洋医学の融合により世界で類のない最高の医療提供に貢献する」を経営方針のひとつに掲げてる。
それもこれも明治時代、漢方排斥運動にひとり立ち向かったら和田先生のお陰、いまや環境問題において江戸時代がいかに優れた循環型を実施していたか、明らかになっているが、ほんとに明治政府というのは軽薄の極み。医療といい、文化といい、自国の伝統をさげすみ、西洋バンザイ、軍備増強、アジア蔑視の基盤をつくってしまった。そのくせがぬけず?戦後はひたすら米国追随の我が国、あ〜あ。ま、明治時代はヨーロッパ各国に目がむいていたからまだましだったかも…。