August 04, 2006

栗原貞子の「旗」

広島へ。総建労連の原水禁大会で「はだしのゲン」を語る。ホテルの宴会場が会場という気楽さもあってか、途中、原爆投下のシーンで前に出てきて、携帯カメラでパチパチ撮る人がいてびっくり。ピースサインで答える訳にはいかないのだ!それにしても広島の夏は格別に暑い。この灼熱の中、被爆して水を求めて亡くなっていった人々の怨念。ぜったいに忘れてはならない。「広島に文学館を!市民の会」の池田さんに会い栗原貞子のブックレットをいただく。このなかの「平和教育と日の丸・君が代」(栗原貞子著『核・天皇・被爆者』三一書房から)はとてもタイムリーだ。マルセさんの「記憶は弱者にあり」だ。国旗国歌をおしつけたい人たちにぜひ読ませたい。
「旗」
日の丸の赤は じんみんの血
白地の白は じんみんの骨
いくさのたびに
骨と血の旗を押し立てて
他国の女やこどもまで
血を流させ 骨にした

いくさが終わると
平和の旗になり
オリンピックにも
アジア大会にも
高く掲げられ
競技に優勝するたびに
君が代が吹奏される
千万の血を吸い
千万の骨をさらした
犯罪の旗が
おくめんもなくひるがえっている
「君が代は 千代に 八千代に
苔のむすまで」と
そのためにじんみんは血を流し
骨をさらさなければならなかった
今もまだ還って来ない骨たちが
アジアの野や山にさらされている

けれども もうみんな忘れて
しまったのだろうか
中国の万人杭の骨たちのこと
南の島にさらされている
骨たちのことも
大豆粕や蝗をたべ
芋の葉っぱをたべてひもじかったことも
母さんと別れて集団疎開で
シラミを湧かしたことも
空襲警報の暗い夜
防空壕で 家族がじっと息を
ひそめていたことも
三十万の人間が
閃光に灼かれて死んだことも
もうみんな忘れてしまったのだろうか
毎晩テレビ番組が終わったあと
君が代が伴奏され
いつまでも いつまでも
ひるがえる 血と骨の旗
じんみんの一日は
日の丸でしめくくられるのだ
市役所の屋上や
学校の運動場にもひるがえり
平和公園の慰霊碑の空にも
なにごともなかったのように
ひるがえっている

日の丸の赤は じんみんの血
チロジの白は じんみんの骨
日本人は忘れても
アジアの人びとは忘れはしない
(詩集『ヒロシマというとき』三一書房より)