April 30, 2015

連休の間に恐ろしい未来への布石が次々と!?


4月28日の安倍オバマ会談で安倍は翁長知事をまたしても裏切った。「翁長さんは新基地反対と言っているが自分は辺野古への移設が唯一の解決策と申し上げた」「辺野古新基地建設は揺るぎない」と。翁長知事は憤り、5月末に訪米し、米政府に直接反対意見を述べると。まったくこどもの使いより始末が悪い、翁長さんと面会したのは何だったのでしょうか(怒)
会談後の日米共同記者会見でオバマ大統領が「海兵隊を沖縄からグアムに移転する事を責任を持って進める」といったのに安倍は「普天間基地の危険を除去する為に海兵隊の辺野古移設を進める」と。全くかみ合っていないし、日本側が海兵隊に居て欲しいと言う事と解釈できてしまう。
また、この日は
日米安全保障協議委員会(「2+2」閣僚会合)がニューヨークで開かれ、新ガイドラインが発表された。「ポイントは、自衛隊と米軍の運用の一体化が地理的制約なしに飛躍的に高まり、しかも常設される調整メカニズムによって、情報と情勢認識の共有と部隊運用の調整が平時から有事まで常に行われることである。このガイドラインによって、日米はより効果的に中国の挑戦に対応することができることになる。」
地理的制約なし!?この連休ははっきり言って国民が愉しんでいる間に取り返しのつかない事態のスタートとなってしまいそうだ。国民の多くは中国を敵と見なしていないのに。
そして、連休初日の29日には東北新幹線架線切れで4時間も不通。先月の神田、秋葉原間の鉄柱倒れもそうだが分割民営化後、点検、整備をおろそかにし、安全を軽視していることのあらわれではないか。25日は尼崎脱線事故から10年目だった…。
30(木)安倍首相、今度は日本国民を裏切った。米国議会で国会にまだ提出されていない集団的自衛権の行使容認を認める安保法制を今年の夏に成立させると約束してしまった。これほどの重要法案の成立時期をよりに寄って外国の、それも議会で約束とは!我々日本国民の存在は!?国民無視し国会を無視し、自分は独裁者になったつもりでいる。戦後70年の日本を国民との議論もなく変えようとしている。もう絶句というほかない。安倍首相は「みてきたような嘘をつく」どころか呼吸をするように条件反射で嘘をつく天才かも(怒)
新ガイドライン反対47%辺野古埋め立て反対45%原発再稼働58、4%
国民は怒っている。

April 27, 2015

統一地方選終了、さあ、足元から変えて行こう!

24(金)選挙戦の最中だがいわきの実家へ。すっかりやせてしまった父を見舞う。母は視力が落ちて、ほとんど見えなくなってしまった…。週2日ヘルパーさんに身の回りの世話をしてもらっているが、洗濯干しなど慣れた仕事は多少大変でも自力でやると頑張っている。いずれは誰もが老齢となり、お迎えを待つ…。分かってはいるが、一日でも長生きして欲しい、一日でもそばにいたいと切に願う。
26(日)日進おやこ劇場さん、平和をテーマに「はだしのゲン」で呼んでくれた。震災の2ヶ月前、「フラガール物語」公演、なつかしい皆さんと再会。あのころとは激変してしまった日本…。こどもさんたちの平和へのメッセージ、織り鶴などが楽屋を飾っていて嬉しい。終演後のプレゼントは手作りの扇子、はだしのゲン座布団、そして原寸大の「はだしの足」(笑)ありがとう、こどもたちの未来が惨憺たるものにならないよう、大人達はふんばります!
27(月)統一地方選挙、後半が終わった。応援した人たちの多くが当選して安堵。特に世田谷区議選に出た、サロンの生徒さん田中みち子さんが当選したのは本当に嬉しい限り。地方から、地元から、この国を変えて行かねば!

April 23, 2015

釜山故里原発ツアー訪問記

4月17日
きょうから20日まで釜山の故里原発に反対する皆さんと交流、また、また新故里原発からの電力を高圧線でソウルへ送る送電線建設反対運動を10年もがんばっている蜜陽(ミリャン)の皆さん、大邱では若者の脱原発運動、被曝2世の方と交流するという盛りだくさんの内容、総勢24名で成田を出発。
まず釜山のホテルに到着するとロビーに金海蒼(キム・ヘチャン)慶星大学教授とカメラクルーの姿が。早速、今回のツアーの目的などの取材を受け、それからチェックイン。さすが金先生、寸部の無駄もありません(笑)が釜山で環境や脱核の活動をしている市民団体との交流。中区の副区長さんが歓迎の挨拶、その後会食。行政が私たち24人を歓待してくれた、日本じゃ考えられないです(笑)昨年5月に講演したYWCAの代表ともうれしい再会でした。金先生がまたすてきな歌声を披露して、日本側からも天羽さんが歌のプレゼント、とてもいい幕開けとなりました。
4月18日晴天。
地下鉄で移動してこり原発廃止市民行動に参加。総勢80人ぐらいで行進。私は挨拶後、タクシーでハンギョル、アートホールに向かい講談の準備。行進の後、公園でビラ配りをしたら90%の方々が受け取ってくれてその場で読んでくれたとか!開始時間は大幅に遅れたものの講談も無事終了。その後、古里原発による健康被害を訴えた韓水原に勝利したイ、ジンソプさんの話を聞く。発達障害の息子と二人三脚で国内を3000km行脚したという人で、日本でも8カ所ぐらいで講演したそうだ。彼は最初から自らの甲状腺ガンだけを訴えるのではなく、お連れ合いさんの大腸がん、息子さんの発達障害を訴えた。その内、彼の甲状腺ガンだけが原発由来と認められた。彼も弁護士もまさか勝てるとは思ってなかったとか(笑)客席には釜山で脱核運動に携わる教授数名も参加し、質問も飛び交い内容の濃い一日となりました。


19(日)朝、散歩していたら雨が振り出してこの日は一日雨でした。
午前、ホテル前に到着した人数ぎりぎりの小型バスで、故里原発へ。昨日のイ、ジンソプさんがガイドしてくれました。まずは「エネルギーファーム」という原発広報センター、韓国の電力会社が自分たちの技術だけで作ったと自慢する新型炉「新古里原発」はなんと140万キロワット(世界一)。これを海外に輸出する為にもはやく稼働させたい、その為の送電線が蜜陽に建設中で、他に青道(チョンド)でも反対運動が起こっているという。外では歌謡曲が大音量で流されていて、これは「約束通り5キロ先へ町を移転させて。約束を守って」と言う内容で有名な歌謡曲の替え歌との事。一日中聴かされてはたまらないのでは(笑)故里原発は500メートル先が住宅街、最初から時期がきたら移転するという約束だったそうだ。5キロ先の意味は…補償金がもらえる範囲だそうで。
1時間半バスに揺られ蜜陽に到着。両脇が柿畑の坂道を登って行くと近くに送電線の鉄塔がそびえている…。まったく似合わない景色でした。すでにみなさん昼食を作って食事しながら交流しようとテントでお待ちかね。ところが24人が入ったらもうぎゅうぎゅうで、村のみなさんは外で待機。栗入りよもぎスープに小豆ご飯、春菊の胡麻和えなどなどとても美味しくおかわりした程でした。
交流会では「日本の原発は何基動いているのか」と質問され「今はゼロ」と答えたら「おお〜」と拍手が!急いで「私たちの力で止めたのではない。震災後地震や津波に対する基準が厳しくなった結果」と説明、再稼働は自分たちの力で止めたい!

密陽からの帰途には大邱(テグ)市へ。数年前に侵略時代の真相をもっと知りたい、また日韓の文化交流を盛んにしたいと大邱に居を移した計明文化大学の岡田卓巳はとても熱心な方で若者達の日本語の先生でもある。その生徒の一人、陳さんは親が広島長崎で被爆した在韓被曝二世で、陳さんから話を聞く。生活も貧窮し身内にガンでなくなった方が多いとのこと。釜山にすんでいても被曝手帳ががうけられるようにすべきでは。毎週火曜日に脱核行動をしてアピールしている学生や若手の活動家たちとも懇談。日本語が上手な若者が多いのには驚きました。一緒に夕食を摂った居酒屋「バボチュマク」は「奪われたのにも春は来るか」の詩人、李相和の兄が開いたお店でお店のとなりは李相和が生まれ育った家。おもわず記念写真をパチリ。

食後はまた2時間バスにのって10時半にホテル着。疲れたけれど、とても盛りだくさんの一日。さあ、明日は観光です。
20(月)今日もあいにくの雨。最終日は午前中観光ということでまずは国際市場へ。おかゆ専門店であずきおかゆをいただく、美味しかった。ガイドさんも同行してくれてめずらしい芸術の丘へ。朝鮮戦争時、避難民が住んでいた山の斜面の住宅地、近年、立ち退きをせまられていた貧しい人たちを救おうとアーチストたちが空家をギャラリーにしたり家々の屋根や壁にペイントを施しまるまるアートの街に作り替え、今は人々を魅了する観光地!後ろ向きの鳥は、顔が人の顔をしている。一日かけて歩きたいぐらいでした。

また、住む家のない人たちが、植民地時代の日本人の墓地の納骨堂や墓石の上に家を建てすんでいる場所も見る事ができた。なるほど墓石を家の基礎にみたて再利用。基礎としては墓石はたしかに優れているかも(笑)
早めに空港に到着し、旅の思い出を反芻しながらビールで乾杯。釜山の大勢の皆さんと交流できたこの感動を、お互い次の出会いへと繋げて、脱原発にむかって一歩すすむ事ができた手応えのあるツアーでした。釜山の皆さん、24人のツアー参加者の皆さん、お疲れさまでした!


April 12, 2015

鵜沼久江さんの講演

12(日)浦和パルコの上のコミセンで開催された第8回原発問題を考える埼玉の会「私に牛は殺せない!」に参加。双葉町出身、今は久喜市で農業を営んでいる鵜沼久枝さんの話を聞いた。311大地震の揺れの最中にどすんとすごい音が聞こえた、それは津波の前だったとの事。その時に干していた洗濯物を後日、娘さんが調べてもらったところ、放射線各種がついていたというからやはり原発事故は地震由来というのは明白だ。11日は3キロ、12日は10キロ、15日は20キロと避難命令が拡大し、「ここで死ぬ」と腹を決めてとどまっていた人たちを自衛隊が無理矢理連れ出した。鵜沼さんはなぜ避難をするのか分からず、「放射能」と知っていたら牛達を放したのにと悔しがる。年一回の東電の避難訓練では、指定の避難場所にくればヨーソ剤、食料を渡すから逃げる必要はないと言われ信じて来たそうだ…。自宅は4μ。双葉の町中はもっと線量の高い所でもねずみやトリがいるのに、不思議な事に自宅にはハエもねずみも何も出ない。牛の死骸がたくさんあってもウジも出ない。おそらく吹きだまりかなにかで重い各種が落ち生物の生存を許さないののだろうか…。
中間貯蔵施設、報道は「決まった」と書くが鵜沼さんには何の連絡もないという。当事者の話は驚く事ばかりだ。もっと大勢の人に聴いて欲しいと切に願う!

夜、7日に秋田の大館で個人演説会に呼んでもらった秋田の石田ひろしさんが県議に当選したとの朗報!ハラハラしていたのでほんとに良かった石田さん、おめでとう御座います!!

April 05, 2015

桜と選挙の4月を迎えて

4月3(金)あちこちで桜が満開、つい浮かれて〜。が、4月からはますます物価が上がり生活は苦しくなるばかり、辺野古への政府の暴力には悔しさが募り、そんな中、報道ステーションの古賀さんの勇気ある発言が私には一服の清涼剤となりました。
きょうは千葉、北、西、中央のおやこ劇場合同例会で「はだしのゲン」公演。十?年前にも呼んでもらっている、もちろん、当時まだこの世に誕生していないこどもさんも今回は聴いてくれるわけです。終演後アメやお菓子のレイを九首にかけてもらう。手作りの布バックをプレゼントしてもらい、この子たちの為にも他国の戦争に加担するような安保法制には絶対に反対して行きたいと改めて思う。来週にはソウルへ帰国する特派員の金容出さんも16歳の娘さんと観に来てくれた。娘さんは中沢さんの大ファンだそうだ。ソウルでも公演して欲しいとすてきなエールを送ってくれた、実現できたらすばらしい!初演から29年、当時よりずっと戦争が身近に迫って来て焦るばかりだ。こんななか、天皇皇后両陛下がパラオ諸島に慰霊に行かれる。現政権には両陛下の平和への想いを謙虚に受け止めて欲しい。

4(土)世田谷生活者ネットワーク決起集会に応援弁士で呼んでもらう。
香織倶楽部の田中織あさんこと田中みち子さんが新人候補者の一人として日々奮闘中。5人はみなさんすてきな方々ばかり。保坂区長も最後まで会場に残ってくれました。全員当選を祈ります!

5(日)朝刊に「こどもの食と貧困初調査へ」の見出し。今までやってなかったのかと思いつつ読んでみると…。【1985年に10、9%だった子供の貧困率は2012年に16、3%と過去最悪に。ひとり親世帯は特に深刻で54、6%に上る。新潟国立大の村山伸子教授らは13年秋、東日本4地域の小学生900人の食生活と家庭の経済状況を調査。その結果、所得の低い家庭の子供の方が朝食をとらない、野菜不足、インスタント面を食べる頻度が高い」といった傾向が分かった】振りかけご飯だけ、麺類だけと言う家庭が多かったとのこと…。私たちが子供の頃には想像もつかない貧しい食生活の子どもたちがこんなに増えているとは!
1985年と言えば「はだしのゲン」発表の前年、あの頃と今…。戦争の足音が近づき、子どもたちの貧困が増えている。日本の平和と繁栄はどこへ消えたのか!きょうは北区市議の福田光一さんの決起集会に呼んでもらう。前回、最下位当選だったものの、4年間で頭角を現し、今や「右向け右」の市議会に異議を唱える貴重な存在。地域から国を変える気持ちで頑張って欲しいです!