March 27, 2013

「原発のない福島を!県民大集会」とインド訪問記5

3月23日
「原発のない福島を!県民大集会」が、福島市・あづま総合体育館3000人のキャパに7000人を集めて行われました。私は行けなかったが全国から集まってくれてうれしい。
詳細な報告はこちら
(はじめに、呼びかけ人として吉岡棟憲さん(曹洞宗・円通寺住職)が「人間らしく生きるためには人権・平和・環境が必要だが、原発事故は美しい福島を破壊し人々を引き裂いた。国・東電は責任をとろうともせず事故の風化を狙っているが決して認められない」と挨拶しました。)

美しい自然が財産の福島県はいまや…だから、インドの原発、やめてほしいのよね〜。

訪問記5です。
3月4日
ヒルトップホテルの朝。6:30に目を覚ます。しばらくすると朝日が前のビルに当たって景色が輝き出す。鳥たちが盛んに飛び回っている。私の部屋の庇にもカラスや鳩が頻繁にやってくる。トンビは静かに輪をかいている。しばらくお目にかかってない鳥たちの朝の活動、だ。
ここでも子ども時代にワープする。学校からの帰路、トンビの影に「鷲だ〜」と逃げ回ったことや、すずめが隊列を組んである方向にとんで行く「すずめのご祝儀」に見とれた事など。
しかし現実は厳しい、たった今メールで「ムンバイもpm2.5がすごい」との情報。…マスク持参で良かった。
この日は実に盛り沢山のスケジュール。
まず、日本山妙法寺の森田上人の運転手、リンゲールさんが9時45分に迎えにきてくれ、10時にホテルから近いお寺へ。森田上人からお寺の説明を聞いた後、日本人墓地へ。明治時代から多くの天草の女性が唐行きさんとしてインドに渡り、ここで没している、唐行きさん研究家でもある大久保さんが、インドに関心を持ち、このNPOを立ち上げるきっかけの一つでもあった。
その後、お寺へ戻り、お寺の幼稚園の園児たちと交流。


お遊戯や歌を披露してくれた。日本の保険会社の駐在員の奥さん、河野さんが1歳半のあっくんと遊びにきていて知り合いになった。チュリダールが似合うとてもさわやかな方だ。園児たちは近くのスラムの子供達、お寺が無料で面倒見ている。インドはお金のある人が宗教家に尽くす。宗教家は貧しい人々の支えとなる。宗教家にとってはインドは暮らしやすい国と森田さん。
森田さん曰く、インドで98年に核実験があり、広島長崎の原爆を語り歩いている自分は多くのところで核実験反対を唱えている。大学生たちの間で反戦反核運動が盛り上がった。ついては私がインドで原爆、原発を語る機会があれば通訳してあげましょう。その時はぜひ!

お寺から1時間ほど車で移動しNGOの方マノハさん、お寺の世話人の御宅で昼食をご馳走になる。程なく35歳の博士号を持つ娘さんマニシャさんもくる。お寺の入り口で移動病院、車の中で診察する車が止まっていたが、彼女のご主人はその医者だとのこと。
マノハさん曰く、スラムはマフィアが支配している。子供達は危ない道に進むことになる。女の子は売春婦に。マノハさんについて森田さんは「彼のお父さんは左官屋、彼は最下層から出て詩人の会を作り、社会改革を目指している。娘さんは大学院を出て博士号をとった」と。
多くのNGOは搾取する、まじめなNGOは少なく全体的に評判はよくない。
スラムエリアは大きいのは50ぐらい。5、6年前から建設ラッシュがはじまり。一日約1000人が新たにスラムに入って来ている。ムンバイの中心がスラム街。経済発展は格差を広げるだけで富めるものはますます富み、貧しいものはもっと貧しくなった。57億のビルに家族4人ですみ70人のお手伝いを雇って暮らしている金持ちは新興財閥。彼らは「官民癒着」で政府に守られ、やりたい放題。
(このビルが57億)
スラムからタクシーに乗って売春街に通う女の子や未亡人も多い。売春街の病人は9割がたがエイズ。エイズの資金はたくさん来てるが悪いNGOが搾取してしまい、患者には行かない。ワルダというところにハンセン氏病院がある。普通はGNPが上がるとライ患者は少なくなるがインドはちがう。一割が儲けて後は昔のままだ。
住むところがない女性は夜になるとタクシーやトラックの運転手を引き入れる。
売春街のカマティプラ、デワダシ(神のしもべ)の女の子たちが年をとるとボンベイに売られる。ヒンドューの教えは搾取が建て前。女性を売るシステムが出来ている。それがデワダシ。
歌ったり踊ったりする女優の原型で、踊った後、買われる。
講談師のような仕事をインドではカタカリンというそうだ。
などなど貴重な話を聞くことができた。
お昼ごはんも美味しかった。4階のベランダの窓から見えなくなるまで手を振ってくれた。


March 23, 2013

インド訪問記4

3月2日
世界遺産のエローラ石窟寺院を見学する。時間がとまったかのような静けさにつつまれ至福の時間をしばし堪能。

そのあとのビービーカマクバラ廟は眠いのと暑いのもあり、イマイチ?でした。
駐車場の入り口の焼きトウモロコシ屋、トウモロコシの皮を剥いては後方に捨てる、とそこにヤギがいて懸命に食べている、こういう風景いいな〜。
アウランガバードの街を車中からみながらホテルへ戻り、5時に迎えにきてくれたジョティさんと、ホテルからほど近い彼女の実家へ向かう。途中、チュリダールを買いたいという私たちのため、大きなイオンモールのようなスーパーへ。美喜子さんと美千代さんはお似合いのがあったが私はなし。ジョティさんのお宅は商店街にあり、向いは床屋さん。小売業で余裕のある家庭と言った雰囲気でとてもきれい。入り口に歓迎の印の絵が描いてある。台所まで見させてもらった。18になる妹さんが卵カレーなどを作ってくれていて美味しくいただく。トイレは一つのベッドルームの奥にあり、広くてちょっと驚いた。
近所の洋品屋さんが何枚かのチュリダールを持ってきてくれた。またしても私に似合うものはなし。天草の笠井洋子さんのお土産に一つ買う。
ジョディさんとお母さんが美千代さんにサリーの着方を教える。その様子をビデオに収めた。お別れには妹さんからかわいいバラをいただく、心尽くしのおもてなしでした。18歳の妹さんは5月22日に学生結婚するそうだ。ジョデイさんも大学院へ行くとのこと、きっと裕福で教育熱心な家庭なのでしょうね。
3月3日朝、ジョテイさんが弟とシュリくんと共に見送りにきてくれる。空港からムンバイへ。うっかり手持ちのカバンにいれていた眉ばさみが没収されてしまった。私はインドで一度も使ってなかったのに。美千代さんが使ってくれたのがせめてもの慰め。ムンバイ空港には明日お目にかかる森田上人の運転手さんが迎えに来てくれた。が、宗教上の理由でエアコンはつけないとのこと。なんということだ…。汗だくになってヒルトップホテルへ。ここは初日の夜に到着し、翌朝4時に出発したホテルで、昼間の風景は始めてみたが505号室からはアラビア海が見えて、感動。空にはカラスが元気に飛び交っていた。
夕方6時からは皆で散策、住宅街をゆっくり歩いたのは始めてだ。木の影で髭剃りは出張床屋か?日曜日ということもあって遊具のある公園は賑わっていた。そこらじゅうで犬が昼寝をしている。住宅街からアラビア海の海岸通りへ。車は頻繁に行き交うが歩道が広く大勢の市民が散歩を楽しんでいる。サンセットをみようと防波堤に腰をかける。リードのついた犬はこの海岸通りで始めて目にした。
アラビア海のサンセットはお見事でした。
ツイート「テトラポットの間はゴミがたくさんすててある。汚れてはいるが、それが何だというのか、時に臭うがそれが何だというのか、人っ子一人いない海、誰の目にも触れず太陽が登る福島の海はこれ以上ないぐらいきれいだろう。アラビア海の夕日を見ながら故郷の海をこよなく思い出す。」
ホテルにレストランにて夕食。ところがお店ではビールを飲むことができないということで、ルームサービスに切り替え、ビールも酒屋からの取り寄せで30分後に到着。美味しかった。食後に家族のことを話す。インドが私の心を開かせた。美喜子さんもご亭主の話題を。おもしろおかしく夜は更けていくのでした。


March 20, 2013

インド訪問記3


3月1日
 ホテルをチェックアウト後、ガンダルバディ村へ向かう。きょうはモリンガの収穫です。
車中、ヨガの先生で昨年インドのヨガ大学に10ヶ月留学していた山崎みかさんからきいたこと。インドの90パーセントの人々が信仰しているヒンドュ教の教え。
1歳から25歳までは自分のために勉強する。25歳から50歳までは家庭を持ち家庭の為に働く。50歳から75歳までは自身の精神性を養う。75歳から100歳までは自分のため日々の冥想、そして一人で死ぬ準備を整える。だそうだ。
 まずは小学校へ行く途中のハイスクールを訪問。私も一言「福島から来ました」と原発事故で古里に住めなくなった人々が大勢いる事を報告。「フクシマ」は学校で教えていて皆知っていた。ガンダルバディ村は農業で成り立っている、福島もそうだったが、原発事故で先祖伝来の土地に戻れなくなった人々が大勢いる、みなさん、どうか古里を、土地を大切に守ってほしいと挨拶させてもらう。
 その後、いよいよモリンガの収穫。タネにする硬くなったサヤをとってしまったり最初は失敗もしたが、収穫作業はとても楽しかった。


シートの上にモリンガを運ぶ。シートで休んでいると砂ぼこりが。よくみると乾燥した牛の糞も混じっている。牛の糞は貴重な肥料で、モリンガの切り口に糞をなすり付けると翌日には芽が出始める。そばでは牛が3頭のんびり草を食んでいる。そして糞をする、子ども時代の裸足の記憶が蘇える。
 「牛の糞を踏むと背が伸びる」という言い伝えに、「ほんとに〜?」と好奇心で踏んだ記憶。柔らかかった。ここの糞は水分が蒸発?程なく硬くなってしまうようだ。程なくヤギが2匹はずむような足取りで遊びにきた。「今年は干ばつで水がないが、動物たちの水には手をつけない。動物たちは大切な仲間、朝にはミルクを出してくれおいしいチャイをいただくことができる。モリンガなど農作物を運んでくれる。とても大切な仲間です」とジョディさん。
 またまた古里を思ってしまう私。警戒区域ではどれほどの牛や犬や馬やダチョウや猫やイノシシたちが、食べ物もなくさまよっている事か…
飼育した牛を殺さねばならなかった酪農家たち…。
えざばこに首を突っ込んで餓死したままの牛たちの悲惨な姿。いまや福島は動物のみならず、人間までも粗末に扱われ、被曝しながら日常をおくることを政府から強要されている子どもたち…。インドからは「日本の異様さ」がよく見える。

 その後、近くのお寺へ。昼食をとった後、みかさんとバラテさんはプナヘ移動。私たちとジョデイさん、シュリくんは4時間かけガンダルバディ村からアウランガバードへ移動。道が悪くて大変疲れたが、途中でさとうきびジュース、オレンジジュースなどを飲みながら、無事到着。
ウインザーホテルで夕食。チャーハン、焼きそばなどインドに来てはじめてカレー以外のものを頂き、ホッ!


March 19, 2013

インド訪問記2

あ〜だ、こ〜だといろいろあって…。
だいぶ空いてしまったが、インド訪問記の続きです。

インド訪問記2
2月28日、ホテルの窓から牛の姿が見える。デカン高原の朝だ。
ホテルの向かい側には2年後完成予定のショッピングセンターの絵が描かれた大きな看板。道路の両側は屋台が多く、また一年雨がふらないので埃がすごい。車やバイクのクラクションの喧騒、牛や山羊や犬がそこらじゅうウロウロしている。猪豚がどぶのような水たまりでえさを探している姿は、どぶの水の色にとけ込んでいてなんとも…。
近くの屋台でチャイしてガンダルバディ村の小学校へ。チャイはどこへいってもコーヒーのミルク入れぐらい小さなカップで出てくる。すごく甘いのだがこれを頂くと目が覚める。
さあ、ガンダルバディ村到着。もう大人も子どもたちも広場に座って待ち受けていてくれた。文字通り村をあげての歓迎会、パソコン、文具品贈呈式、長老や先生や村の人たちがスピーチ、歓迎の花束贈呈など、子供達も目を輝かせていていた。村の女性たちが作った昼食をいただく。その後教室で交流会、大久保さん、キャベツの歌で指あそび、子供達やおばさんも歌を披露楽しいひと時。

その後、男性たちと会談。ムンバイのような都会は4、5人いて、科目ごとに教えることができるのに校長を入れて先生が二人しかいない、と不満顔。ちなみにインドは女性の先生が多い。農村の女性は家庭に入って家族のために働くのがほとんど。だから女の子たちにとって先生は憧れの職業なのだ。この小学校は1959年創立。生徒は5歳から10歳まで男26人女22人の48人いる。幼稚園のようなものはあるが、いかない子も多いそうだ。
この学校を卒業すると来る途中にあった7年制の中高校に。義務教育は4年と7年で11年。雨が降らない時期は農作業ができないので親たちは出稼ぎに出かける。家族と暮らしているのはたった5人、だから子どもたちは全員朝昼晩、集会場で食事をともにしている。共同体で面倒みているのね。こどもの個食などとんでもないという訳だ。
子供達に将来の夢を聞くと、女の子はドクター、または先生。男の子はエンジニアだった。
また、明日もくるよと車から手をふって子供達とさよならする。
でこぼこ道を揺られ揺られ40分かけてホテルへ戻る。
ジョディさんがきたので、シュリ君、バラテさんや私たち皆で買い物に行く事に。ジョディさんサリーを買いに、私はサンダル。牛が臼を引いて作るさとうきびジュースは自然の甘さでとても美味しかった。サリーのお店で岡部さんがハッと気がついたように「お色直しにサリーを着ようかな」と一言。6月に結婚するとのこと。

さっそく、ジョディさんに素晴らしくお似合いのを選んでもらう。私の草履はバラテさんがプレゼントしてくれた。安価なものなので遠慮なくいただくことにした。夜はバラテさん、ジョテイさんと昨日のようにホテルのガーデンで食事。時間帯にも因るということでビールはOK、バラテさんほんの少し、私と長野さんで一本づつ美味しくいただきました。シュリくんは食べる直前に寝てしまった…。大久保さんと岡部さんは全く飲まない。連日37度の暑さ。もうしわけないが、ビール、美味しかったです。

March 18, 2013

佐倉市にて「チェルノブイリの祈り」

3月15(金)
佐倉市民音楽ホールにて「チェルノブイリの祈り」公演。
主催のさくら市民ネットワークの伊藤さんから公演の話があったのは昨年の脱原発世界会議の時かあるいはそれより前?
ノバホールと同じぐらいの立派な会場、音響のみならずホリゾントもいいとよろこぶ舞台監督。開演前に成田国際高校演劇部の挨拶、高校生たちが福島をテーマに取り上げて3月末に学校のホールで発表するとのこと、福島県人としてとてもうれしい!
また、佐倉市在住の同郷人、同じ町内で子供会も通学班も一緒だったかをるさんから楽屋に花束とお菓子が。本も買ってくれ、その面差しに子どもの頃の思い出を重ねた。こういう再会があると、講談を続けていてよかったとしみじみ思う。
伊藤とし子市議入江あき子県議大野ひろみ市議がそれぞれ報告を写真入りでアップしてくれました。それぞれの持ち場で踏ん張りましょう。ありがとうございました!