December 25, 2012

中沢啓治さんは心の中に生き続ける


朝、新聞社の電話取材で始めて「はだしのゲン」の中沢啓治さんの訃報を知った。19日に肺がんでお亡くなりに…。26年前から語っている「はだしのゲン」、私の生き方の道筋を教えてくれた作品だ。思えば窮地に陥ったとき被爆した方々の苦労を思い、何のこれしき!と「はだしのゲン」は私を叱咤激励してくれた、この作品を語り続けて私が一番力を貰った。
今年の8月6日、広島の平和に集いに呼んでもらった際、主催者が中沢さんを招待してくれていた。ロビーで数年ぶりの再会。これが最後となってしまった。マスク越しに「身体に気をつけてがんばってね」と。今年最高の思い出はこの再会。今年最も悲しい出来事は…中沢さんの訃報。私の講談「はだしのゲン」を聞いてくれた数万人の皆さんの心の中に、そしてこれから聞いてくれる皆さんに、かならずこの作品は元気を分けてくれる、中沢さんは姿は見えなくなっても、生き続けるのです。心からご冥福を祈ります、そしてこれからも「はだしのゲン」を語り続けます!

December 21, 2012

「鈴木ゼミ」

 西宮の「鈴木ゼミ」にゲストで呼んでもらったのが16日、選挙当日だった。前日の多田賞の会場にも姿を現してくれた鈴木邦男さん。西宮駅で合流した時、「しばらくだったね〜」「あのう、昨日会ってますが」「あれ、そうだっけ、ぼけちゃったなか〜」(笑)鈴木さんはとてもおだやかで心優しい人だ。私の怒りの講演(話しているうちに怒りが込み上げ、講談の抜粋を、あれもこれもと、まくしたてる)の後、ふたりの対談。鈴木さんが田母神さんも同郷だと話しだすが、私が興味を示さなかったらすぐに「表現」について講談の話法など、私の得意分野に話題をかえてくれた。会場にはだるま森、えりこさんもかけつけてくれた。また鎌倉から来たと言う女性達も。鈴木ゼミ、来月は湯浅誠さんが出演。お近くの方、ぜひご参加を。

18日はNPOふくしま支援・人と文化ネットワークの忘年会。会場は下北沢の「双」富岡町から避難した青年が経営している。富岡のうなぎ「押田」の息子さんだ。このお店のちかくに「原子力PR舘」があったけ…。天草の無農薬米農家が180キロものお米を福島の子ども達にクリスマスプレゼントで送ってくれることなどを報告。選挙結果にがっかりしながらも、やれることは沢山あるね〜。と。「双」はお料理もお酒もおいしかったし、避難者があつまり語り合えるお店として、これからもがんばってほしいし応援していきたい。


December 17, 2012

「私の敵が見えてきた」

あっと言う間に総選挙、都知事選が終わりました。
結果については、小選挙区の定め?自民圧勝で、自民に入れた人もしまった!と思っていることでしょう。これ以上弱者を追いつめるような政治は絶対に許したくないのだが、この結果。とにかく声を出し続けよう。
選挙戦最後の15日夜8時、新宿駅での宇都宮候補への声援はものすごく熱く、選挙結果はどうあれ脱原発の勢いは間違いないと確信した。
この日は午後2時から連合会館2階で「多田謡子反権力人権賞」の発表会と5時からは懇談会があり、それを終えてから新宿へ。チラシ配りのボランティアの皆さん、必死の表情、すごい。サロンの仲間のオレンジの法被はまさに宇都宮さんカラーそのもの。法被がほしいと申し出た人がいたそうだ(笑)オレンジの旗が選挙カーのそばで翻る様は一席の軍紀読みにしたいぐらい。お弟子さんたち、頼むよ〜。
選挙結果に「あきれ果ててもあきらめない」。
それにしてもなんと言う縁だろうか。26年前に亡くなった人権派弁護士多田謠子さんの本が多田賞の正賞、そのタイトルは「私の敵が見えてきた」。私の気分とぴったりだ。おそらく私以外の大勢の方達も!多田さんは12月15日、選挙戦最後の日、間違いなく私に寄り添ってくれていたのです。

December 14, 2012

九州訪問記(8〜12日)

12月8日
今日の人権講演会「チェルノブイリの祈り」の会場豊前市民会館の最寄り「宇島駅」では門松の準備中でした。一昨年、ちかくで公演した「はだしのゲン」を見た方々が強力に推薦してくれたとか。こういうのが一番嬉しいです。
終了後、天草へ移動し、笠井さん宅でワンちゃん、猫ちゃんとたわむれ、10日は以前「チェルノブイリの祈り」天草公演を企画してくれた「原発より太陽をネットワーク」の生駒さん達と安田公寛市長に面会、市長さん福島保養について協力して下さると大変好意的でした。その上NPOの個人会員にもなってくれ、堅く握手。自然の宝庫天草で福島の子どもたちの保養、移動教室が実現できたらと切に願いつつ、川内原発から30キロの天草、自然を、新鮮な魚を守って下さい。
11日は生駒さん、笠井さんたちと九電とお「公開回答会」に参加。まあ、驚き桃ノ木山椒の木とはこのこと。「福島のような事故は起こさないと、より一層の安全性を確保し、玄海、川内原発を再稼働する」と大見得を切ったはいいけど。福島市の渡利地区を知っているかとの質問に「知りません」ときた。
九電側の「想定外でも安全性を確保し再稼働する」に「活断層の有無を3.11以降掘って確認した?」との質問には「してない。でも国が安全と言った」と、九電さん大昔のデータで意地を張るし。
万が一事故が起きたら、避難の為の船など準備してるかとの質問に「それは国の仕事だから九電としては何もしてない」。川内とは協定結ぶも30キロの天草とは結ばないと。原発事故は距離は関係ないのは福島の事故で周知ではないのか。
トドメは…「福島から今、何人避難しているか分かりますか?」の質問に九電の人「知りません」ですって参加してよく分かった。おそらく九電だけではなく他も同じだろう。このまま再稼働したら、また悲劇は繰り返される。原発が2度おとされないと降伏しなかったように、事故も2度目を待つつもりか!?
12日は福岡県田川郡川崎町の人権講演会。「バツイチ子連れ講釈師、涙と笑いの奮闘記」タイトルだけで笑えちゃう。福島報告、DV、講談の抜き読みとあっと言う間に時間はすぎ、さあ、みなさん力声をだしましょうとワークショップ、泣いたり笑ったり、皆さん、楽しんでもらえたかな?写真は人権作文コンテスト福岡大会で奨励賞を受賞した鷹中1年生丸山さんと。終了後、1時間かけて小倉まで送ってもらい、九州最後の夜は静かにふけていきました。


December 06, 2012

石田ひろしは好男子

5日
もう一昔前になるが、いわきに住んでいたとき秋田県平和フォーラムの主催で「はだしのゲン」と数年後に「チェルノブイリの祈り」ツアーを組んでもらった。
大館での実行委員会のメンバーだった石田寛さんが衆院選に出馬と決りfacebookで「いつでも応援に行くよ〜」とコメントしたら「5日の夜に集会があるから」と。
で、5日朝出発、新幹線で2時間、盛岡から高速バスで2時間かかって参上。車窓から見る雪景色、私はこれが大好きで、時を忘れ見とれるだけ。とはいっても雪国の苦労は知らない私、住人の苦労をお思うと…スンマセン。
夜は鷹巣での集会で30分ほど弁士を務め、後は懐かしいメンバーと必勝を願っての懇談会。勢は厳しいが老舗の社民党は地域に根を張っている。
「私の仕事は講談師、石田ひろしは好男子」連日の遊説で声も渋くなった石田さん、人物はピカイチ。社民党は今が踏ん張り時、頑張って下さい〜。