October 25, 2012

30キロ圏内の川前地区へ

 川前はいわき市北部で30キロ圏内に入っている。23日の敬老会の仕事がきて、翌日寄席があるので断ろうと思ったが、取材も兼ねて行くことにした。
 前日22日、いわき駅へ直行、市議の佐藤和良さんに会い、保養移動教室の話をしたところ、いわきの教育委員会が認めなければという。県からの達しがないと動かないから無理では?とのこと。さもありなんとは思うが、川前地区は小中学校一緒で人数も少ない、何とかならないかな〜。
佐藤さんのすすめで小名浜の「市民放射能測定室たらちね」によって測定してもらった。ほぼゼロ。同行の運転手をお願いした高木さんも同様。二人で安堵。(周りの水は遮蔽物)

その後は近くの回転寿しを食べて解散。どのお魚もいわき沖からのものではないし、汚染が気になる。ため息が出る。
実家に帰ると、両親が「痩せた、顔色悪い」とさかんにいうのにはまいった。
翌朝、父曰く「冷やしておいたビールも飲まず。お前の為にとっておいた金山寺味噌漬けの肉も食べない。痩せて、姿勢も悪い…悪い病気ではないか、本人に言っていいものかと悩んだ」という。私はただ、たまたま昨日から腰痛が出て姿勢が悪く、断食明けで体重が減り、その上食事制限あり、肉、ビール解禁まであと一日、というタイミングだっただけなんだけど…。親はいくつになっても子供が心配なんだね。5?才なのに11月で86歳になる父を悩ませてしまった、たまの帰京でした。

 夏井川渓谷の美しさはかわらねど、線量は0,6μ。心から景観をたのしめないいわきの景勝地。会場は川前から5キロ奥の山間部、桶売。桶売小中学校は除染済み、で、空間でも0,26μ、校庭に入った植え込みで0,7あった。小中あわせて30数名、「移動教室」なんとか実現できないか!
線量、量りつつ向かったのでぎりぎりの到着、講談終了後は皆さんと一緒に「川前音頭」、小雨で肌寒い一日、もう一泊したいところだが明日は田辺凌鶴真打ち興行、7時のスーパーひたちで上野へ。「移動教室」が頭から離れない一日でした。



October 22, 2012

復興予算をこどもたちの移動教室に!

19兆円もの復興予算は、もちろん私たちの血税ですが、どうやら官僚の「ずる」賢いやり方で従来通り無関係なものに使われているようだ。捕鯨調査と被災地とどう関係する?(怒)この予算で自分たちの建物を耐震補強してどうする?(怒)沖縄の道路とどう繋がる?(怒)そんなとき、白石草さんからfacebookのエベント案内が「復興予算をこどもたちの移動教室に!」これだよ〜!と院内集会に参加。
おなじ思いの人たちが集まり立ち見がでるほど。移動教室を実行した伊達市から富野小学校宍戸校長、湯田教育長が発言。また福島県内からの保護者、中3の横田君、支援者として川崎からの報告、と盛り沢山で質疑応答の時間はなし。「被災者支援法」に熱心な国会議員も参加。
 まずは今年の7月に札幌へ移住した中手さん。今までの保養は民間が金銭的な負担をしてきて限界がある、「公」の支援が必要と挨拶。
次に移動教室のDVD、とはいっても3泊4日で、チェルノブイリの事故後の「一月」にはほど遠いが実現しただけでも効果大。受け入れ先の新潟の小学校の生徒さんたちも喜んで受け入れ、きっと友情が芽生えたことと思う。
宍戸校長「ゆるい坂で草の上に寝転んで転がっていいと言ったら生徒は目を輝かせ、本当にいいの〜!と何度も確認しやった〜と大喜びで転がって行った。保養先でこどもたちは道の真ん中を歩く。両側の草花を避ける習慣がついているから。受け入れ先はびっくりする。線量の高い中通り浜通りの子ども達いぜひ保養をお願いしたい」「移動教室は教育的意義がある、感謝の気持ちを育み、大人になったら恩返ししたいと子ども達は思っている。こどもは大切にされればされるほど優しく成長できる。結果として放射能からの保養もともなう」
校長の熱弁に私は泣いてしまった。心のこもった真摯な言葉、プライドの高く融通のきなかい?福島県内の教育委員会にも配慮したかのようなものいい。
横田君もしっかりと「僕たちにはストレスがたまっている。こどもたちが保養などで放射能から逃げる時間は平等ではないです。情報格差を埋めるには行政の協力が必要なのです」この中3の言葉をしっかりと拡散して行きたいし野田さん達にも聞かせたいな〜。


3度目の松本、坐禅断食道場

7日の池田町公演の際に宿泊させてもらった野口法蔵師の指導のもと、松本市は美ヶ原温泉で半年ぶり、3度目の「坐禅断食道場」、今回は下の娘も一緒。紺の作務衣を着た娘は上手に足を組む。なかなか決まっている。私も組んでみたが右足がしびれてしまい、2回目からは正座。今回も定員いっぱいの45名の参加。昨年10月にご一緒した方々もいて、なつかしく挨拶。何人かはその後公演にもきてくれている。
初日はいつも頭がさえて眠れない。というか、ビールが入ってないからか(笑)

 2日目は一日9回も坐禅を組むので結構しんどいが、午後から2時間の講話の時間があり、参加者や法蔵師からいいお話が聞ける。今回は私のも声がかかり、「人と文化ネットワーク」シンポジウムの案内や福島の現状などを話させてもらった。途中、「チェルノブイリの祈り」のさわりも紹介、重たい雰囲気になったので「フラガール」もちょっと。なんと一時間もしゃべってしまいました(笑)
 いよいよ法蔵師の講話。曰く、人間の病気は「ストレスと思考」同じことをなんども考えているとNK細胞、ナチュラルキラーを落とす。脳に支配されないのは腸だけ。腸の脳が脳を変える。神経系統が変わる。身体を変え、脳を変えると勘が冴える。これが「悟り」に繋がる。法蔵師は9時に寝て3時に起床、10キロ離れた滝で「滝行」。秋から冬に向かうこの時期が辛いと言う。だが「般若心経」を唱えると身体が勝手に動くという。途中のお堂で五体投置を繰り返し10時に帰宅、そして食事。肉魚は取らない。法蔵師はその昔、一日10時間の五体投置を10年間も繰り返した方だ。その後、断食指導に。1年に120日断食されている。大勢の中にあって、法蔵師だけはまるで輪郭があるようにくっきりと浮かび上がる。これを「オーラ」というのだろうか…。
 3日はいよいよ待ちにまった「明けの食事」、野菜のおいしさに涙が出そうになる。7日に主催してくれた小林瞳さんが来てくれて、松本民芸館に案内してもらい心身ともに文字通りリフレッシュ。
復興予算のでたらめな使い方、ほったらかしの福島の子ども達の健康、大間原発建設再開、などなど人間業とは思えない現実に私の頭はストレスだらけ、「なぜ?どうして?」同じことをぐるぐると思考している。しかし、免疫を落としている場合ではない!ヤケ食い、ヤケ飲みはしばし返上、小食で踏ん張ろうと、高速バスから長野の見事な風景を目に焼き付けて帰宅した私でした。

October 13, 2012

香織チャンネルイン音倉


10月12日
第3回目香織チャンネルイン音倉。まず「人と文化ネットワーク」会員の宗像さんの「チェルノブイリ報告」。ウクライナの子ども達の様子にお客さん達言葉もなし…未来の日本の姿がここにある。こういう報告は本来、大手メディアがどんどんやって早く手を打ち、被害を最小限にとどめなきゃ。
KAZUKO BABAさんのピアノ演奏の後、いよいよビリーホリディ物語り。BABAさんと息があってきた、とってもたのしく語ることができた。最後には遊びに来ていたジャズボーカルの中谷泰子さんが「ボディ&ソウル」を披露!
お客さん大満足の一夜でした。そして、帰りはすぐ近くの日本料理「双」へ。富岡町の鰻の老舗「押田」さんが東京に避難して開いているお店だ。ここでも話が盛り上がり、12月には貸し切りで忘年会をすることに。若者の街下北沢にもう一軒、根拠地ができたような…とにかく盛り上がった一夜でした。

10月11日
NPO法人岡山市子どもセンター主催で「フラガール物語」、郡山から自主避難している方が招待されていた。先日の長野県のときも、前の秋田、山形も招待されていた。そう、全国各地で福島から避難生活を余儀なくされている方々が16万も。なのに、大飯は再稼働するは、大間原発も建設再開するは!復興予算はでたらめに使われるは、怒りを通り越してあきれかえってしまう。岡山はどの原発からも距離がある。魚も捕れるし、うらやましい限り。どうぞ空気も守って下さいね。
翌日は岡山城、後楽園を散策して帰路に。「天下人は庶民に先んじて憂い、後から楽しむ」から後楽園。野田さん、国民が憂いているのに臨時国会も開かず…何やってるんだか。写真は城の石垣を登るくの一!?



October 10, 2012

ああ、安曇野!

10月7日。
朝9時のスーパーあずさで松本へ。連休中の長野は人気があり、さすがに指定席は満席、でも自由席はオーケー。松本駅から大糸線に乗り換えうっとりと景色をながめながら「安曇追分駅」へ。前に松本少年刑務所でも講演でお世話になった丸山さんの車で池田町創造館へ。雲ってはいても抜群のロケーション。
実行委員の皆様がはやくから準備に取りかかってくれてました。
「チェルノブイリの祈り」は悲しいお話なのに、ほぼ満席。実行委員の皆さん、ほんとにがんばってくれました。ありがとうございます。まけず犬さんの「No Nukes-紫陽花は散らない-」の歌に続いて講談、そして終了後は「手をつなぐ3,11信州」の森長さんの挨拶。涙が止まらず嗚咽しながら「このお話は私には辛すぎました…」と。郡山から松本へ、避難生活をしている松本さん。泣きながらの訴えに私も控え室でもらい泣き。

ロビーで若い女性が目を輝かせ、「数万人と一口にいってしまうのではなく、一組の夫婦の話で万人に共感させる、これだと思いました!」と言ってくれた。普遍性…それは「はだしのゲン」からずっと心がけていたこと、嬉しい。
夕食ははじめていただいたそばお焼き、地元の野菜の天ぷらや10割そばと安曇野の美味に舌鼓をうち、私たち一行は宿泊先の野口法蔵師宅へと向かうのでした。
そして翌日、目の前に広がるのはコスモスの群生と草を食む馬の姿。田舎育ちの私は感激し、「こんなところに住みたいよ〜」。馬に乗せてもらい、梓川土手を散歩。スタッフ二人は猪八戒と沙悟浄!?、畏れ多くも三蔵法師に馬をひかせる孫悟空?になった気分は最高でした。あ〜〜馬を飼いたい!長野移住を本気で考えたい気分で帰路に着いた私です。

後日談
岡山から帰ったら主催者の小林瞳さんから次のようなメールが届いてました。
「片田舎で芸術性の高い公演を観られ良かった!感激した!よくぞ企画してくれた等々…口々に賛辞して下さり、有難いことでした。
神田さんの話芸、言葉の力の凄さを目の当たりに致しました。照明と音響効果もよりリアルに観客の想像力を逞しくして下さり、あの日同席したそれぞれの感性が共有した空間はより色濃く心に刻まれたことでしょう。」

すてきな文章、感謝です。小林さん、野口さんご夫妻、イラストの原画をプレゼントして下さったあべおさむさんはじめ、お世話になった皆様、ありがとうございました!!